シノヤマ『写楽』vsアラーキー『写真時代』(後編)【新保信長】 連載「体験的雑誌クロニクル」20冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」21冊目
そんなわけで、私が『写真時代』を初めて買ったのは、大学進学で東京に来てからだ。たぶん神保町のどこかの店で買った1983年5月号。確かに表紙だけ見るとエロ本には見えない。いや、中身を見てもエロ本と言えるのかどうか。巻頭カラーは荒木経惟「景色」シリーズのタイ紀行編で、娼婦と思しき女性の裸は出てくるものの“実用性”は低い。センターカラーの可愛かずみ写真集からの抜粋はいいとして、次のページにはなぜか人体解剖の写真が見開きでドーン。続く倉田精二の韓国ルポルタージュも色気ゼロである。

2色ページの「SEX産業最前線」は「なめだるま親方」こと島本慶の名調子で読ませるが、エロいかというとそうでもない。野間成昭による沖縄非公認売春地区のリポートは、むしろキンタマが縮み上がるし、森山大道の写真は言うに及ばず。荒木経惟「写真生活」に登場するヌード写真にはそそられるものの、みっちり詰まった日記の文章のほうに目を引かれる。さらには平岡正明・上杉清文・倉田精二・南伸坊による謎の座談会、渡辺和博、高杉弾、上野昻志、赤瀬川原平らの連載があり、率直に言えば「なんじゃ、この雑誌は?」というのが第一印象だった。
が、面白くなかったかというと、もちろんそんなことはない。まずは何といっても赤瀬川原平の連載「発掘写真」だ。「超芸術の巻」の副題に「トマソン」とルビが振られ、巨人の外国人選手・トマソンの写真が掲げられている。今でこそ「トマソン」といえば、街角の無用物件を鑑賞する路上観察学のジャンルとして知られているが、いきなりそんなことを言われても、当時の私には何のことだかわからない。それでも写真と解説を見ていけば、「なるほどこういうことか」と、新しい概念の発見にヒザを打つ。読者からの反響も大きく、その後も「考現学講座」「トマソン路上大学」と看板を変えながら連載は続く。
南伸坊の連載も目からウロコの連続だった。「OMOSHIRO PHOTO STUDIO」(のちに「面白写真館」と改題)では「包帯ヌードの可能性」「着ているヌード」「ポルノグラフィーと表情」「放尿のバイオテクノロジー」「着脱の位置エネルギー」といったテーマで「何がスケベな写真であるか」をバカバカしくも真面目に考察する。
1985年8月号から始まった「面白きゃナンでもイイ」(表記は号によって変動。初回のみ「面白きゃイイってものか?」)もタイトルどおりの面白さ。第1回「伸坊のズサンな写真」で聖徳太子や中江滋樹(当時マスコミを賑わせた悪徳投資家)の顔マネを披露したかと思えば、「似てる似てる」(同10月号)では、栗本慎一郎と中野浩一(競輪選手)、研ナオコと土屋昌巳、薬師丸ひろ子と小錦など、意外なそっくり写真を並べてみせる。「週刊文春」の名物企画だった「顔面相似形」がいつ始まったか知らないが、たぶんこっちが先だろう。